2010年9月アーカイブ

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 この章では、国運が衰退していく小国がどのような戦争の目標を持つべきかが考察されている。注意点は、戦争の目標が制約されている場合の考察では敵国と自国の戦力バランスを考慮して攻撃・防御を決定するわけではないという部分だ。

 将来が見通せる場合には国運の悪化している小国、見通せない場合でも大国と利害が衝突している小国が想定されています。現在の日本をこの立場にあると想定して読んでみるのもいいはずだ。

 攻撃か防御かを決定するのは戦力のバランスではなく将来に対する評価であり、将来が見通せる場合はチャンスが巡ってくるか、見通せない場合は政治的目的の評価が判断の分かれ道となっている。

 国運が悪化していく国家の前途はまさに多難だ。フリードリッヒ大王(3編6章)は国の滅亡一歩手前まで追い込まれたわけだし、古代ではマケドニアに追い込まれていたアテネにおいてデモステネスが同盟結成までは行ったもののカイロネイアの戦いで敗れている。これは8編7章における話だが、「制約された目標」における攻撃、つまり「敵国土の部分的占領」には多くの困難があるというのがクラウゼヴィッツの評価だと思う(8編7章,7編4章,7編5章,7編-勝利の最高点について)。そういった意味でそれを乗り切ったフリードリッヒ大王に対するクラウゼヴィッツの評価は非常に高いといえるだろう。

 8編の戦争目標の考察の大枠を示している点でこの5章は有益だ。

 

「戦力のバランス」が攻撃・防御の選択基準にならない理由について
 この8編5章における「戦力のバランス」の扱い方はなかなか分かりづらい。読んでいて微妙な感覚になる人も多いのではないだろうか?実は1編2章においても同じ内容が登場する。ここでは上の表も使いながら自分なりの理解を書いておきたい。

(表から)
 攻撃か防御かの判断の流れを示した上の表において、まず現れるのは物理的・精神的優位がどちらにあるかの評価だ。しかし、自国の立場は優位ではないと判断した場合でも、積極的精神・冒険を実行する性向が強ければ敵を完全に倒そうとする戦争に発展する可能性がある。つまり小国においてもこの種の戦争を引き起こす可能性がある。

(概念上の戦争の前提から)
再び、概念上の戦争の前提からいくつか取り上げてみよう。

(2)戦闘力、能力など互いの様々な条件を同じにする (1編2章)
(3)両者とも戦争の完全性(=敵の抵抗力の完全な破壊)を追い求め、能力もある (1編1章2,6節,2編5章→7節で否定)
(4)相手の持つ抵抗力をしっかりと把握できる (1編1章5節→10,18節,1編2章は現実の戦争、8編5章)

条件を少し変えてみよう。(4)はそのまま固定し、(2)と(3)の条件を変更する。このとき、明白な力の差があり精神的な力でも穴埋めが出来ないならば概念上は戦争など選択しないだろう。しかし現実には明白な差があり不利なのに戦争を選択し、さらに攻撃という闘争形式を選択する場合がある(1編2章を参考に)。よって戦力のバランスが攻撃・防御の選択基準の核心ではない、ということになるだろう。

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