2010年5月アーカイブ

(→メモ

肉体的な苦痛は、戦争における摩擦の最も大きい要素の一つ。

 

寒さ、暑さ、渇き、飢え、疲労などの肉体的な苦痛は、戦争に大きな影響を与え、判断を大きく歪ませてしまう。そのような状況で下される判断は客観的には正しくないとしても、対象との関係を示しているという点で主観的には正しいと言える。しかし、その判断は、甘く厳密さを欠き、正しい認識を受け入れられない精神的な狭さを抱えている。

 

肉体的な苦痛は、「戦闘力の使用」に悪影響を与える。

 

その主な点は以下の2つ。
●戦争で必要とされる理性・感情をだめにしてしまう。
●戦闘力の最大限の使用を制限してしまう。

 

司令官には、苦労を強制しその状態を長い間維持するという精神力が必要となってくる。

 

またそれを可能にする技術が必要となる。

  • 1編3章、「体力・精神力・健全な常識・状況の全体を把握する理性」が挙げられています。
  • 1編8章、演習のあり方

 

(注意点)肉体的な苦痛を敗北時に語り、敗北の印象を薄めるようなことはすべきでない。これを躊躇する感情は、より高い次元の判断力といえる。

(→メモ

「戦争とは危険なものだ」、「蝶が空気を飛ぶように、魚が水中を泳ぐように、戦争では危険のなかで行動することになる」というように、クラウゼヴィッツは『戦争論』のあちこちで「危険」を強調しています。現在生きている私たちは、確かに2度の世界大戦、アメリカとの戦争などを話や映像を通じて知っているため、この危険を知っているようにも思えますが・・・実際は、おそらく何もわかっちゃいないはず。

 

戦争論における精神的な事柄を扱う部分は、読書家が語るには荷が重すぎるものです。正直に言うと、非常に後ろめたい気持ちになるものです。平和を声高に叫ぶ人も、実際には「戦争における危険」を知らないため、その後ろめたさを内に秘めているものと考えられます。何事も声高に叫ぶ場合は後ろめたさがあるものなのかもしれません。しかし、仲間同士足の引っぱりあいをしていても仕方がありません。

 

「もう二度と戦争はしない」という政治的な表現はともかく、個々人の実際上の表現としては「もう二度とあんな思いをしたくない」という素朴なものです。しかし、この実感を伴った世代はおそらく「抑止力」を本能的に体感していたのかもしれません。世代が変わるにつれ、「戦争における危険」を実感できなくなり、「抑止力」が単なる安全保障学を学ぶ人の定義の暗記のようなものになってしまったのでしょう。

 

これは推測ですが、専門家も実感などしていなかった・・・と考えています。私たち日本人のほとんどが今年に入って実感しつつあるというのが本当のところなのかもしれません。

 

さて、この章でクラウゼヴィッツは、戦争における危険を読者に理解してもらうため【戦場の近くに来た時→軍司令官・幕僚→師団長→旅団長→交戦部隊】とそれぞれの階層における危険の印象を描きだしています。もう、5年ほど前になるでしょうか、塾で中学生と一緒に、『西部戦線異状なし』を観たときとほぼ同じような叙述をここで読むことができます。

 

そこでは、砲弾の音への集中、動揺、平静・落ち着きの喪失、呆然など様々な心の状態が描き出されます。

 

「戦争を知らない人は、実戦での危険を実感できない。戦争を考えると全て単純に見え簡単に勝利できると想像しがちだが、実際は違う。心を高揚・満足させる瞬間はほとんどなく、戦争の経過は徐々に進行するため勝利で歓喜に沸く瞬間もない。最初の危険を通り過ぎると、ほとんどの人が決断力を失うものだ。確かに30分もすればその環境に麻痺し無関心になるが、平静さや心の弾力性を取り戻すことは通常できない。」

 

戦争における危険は、軍事行動における摩擦の1つだと語ります。

 

そして「責任が増える(階級が上がる)につれ、精神的な能力の高い人(天才)が必要となる。熱狂的あるいは禁欲的、または生来的な勇気、強い名誉心、危険に対処する長年の経験などを身につけている必要がある。」と、摩擦に対処する精神的な要素を挙げています。

 

詳細は、第1編3章「軍事的天才」、第2編3章18,19などで軍事行動において必要とされる精神の様々な表現が考察されます。

第2編第1章最近は、第5編「戦闘力」に重点を置いて読んできました。この第5編は「戦闘力の使用」に焦点を絞るというクラウゼヴィッツの方針のいわばグレーゾーンともいえる部分です。つまり、「戦闘力の創造・維持」という要素に片足を入れているため、本気でこれを極めようとすると経済、科学などあらゆることに手を広げていかなくてはならなくなります。

 

クラウゼヴィッツもそれについて警鐘をならしています。「戦闘力の創造・維持」のうち、「維持」(補給・管理・編成などが含まれる)は、軍事行動と同時あるいは交互に活動が行なわれることから「戦闘力の使用」との関連を考慮しつつも慎重に取り扱おうとしています。

 

この分野では、

●『補給線』(マーチン・ファン・クレフェルト著、中公文庫BIBLO)

という著作が、クラウゼヴィッツに大いに触発された考察として注目されています。戦略は「現実」から離れていくらでも大きな羽を羽ばたかせることができる。しかし、その戦略は、「現実」に打ち落とされてしまうのだという考察です。

 

さて、第2編第1章のタイトルは「戦争術の区分・兵学の区分」ですが、副題をつけるとしたら「-戦争の何を分析対象にし、何を除外すべきか-」ということになるでしょう。『戦争論』は、勝つ方法について論じているというより、「戦争」を記述し、「戦争に関連する活動」を明確な要素に分け、それぞれの要素の関連を分析しようとする本です。しかし、戦争を対象として前に立てることになるので、常にその理論が現実と一致するか不安になりますが、第2編2章46において「知識は能力とならなければならない」とまとめられていています。

 

「戦争に関連する活動」を2つに分けて考えることが、この章のポイントとなっています。

 

「戦争に関連する活動」
(1)戦闘力の使用(狭義の戦争術) →考察対象の核心
(2)戦闘力の準備(広義の戦争術)
    (ア)戦闘力の創造・訓練    →考察から除外(ただし1編1章8の国土・人口参照)
    (イ)戦闘力の維持         →戦闘力の使用とのグレーゾーンであり注意を要する

 

クラウゼヴィッツは、戦争を理解するうえで最も重要な要素は「闘争」だと考え、闘争の1つの形態としての「戦闘」を戦争における本質的な要素としました。

 

「戦闘」では、(2)で準備された戦闘力を既に与えられたものとして捉え、考察から除外する方法が採用されています。ただ、与えられた戦闘力をどのようにしたら有効に使用できるか、そして戦闘力の使用によってどのような結果がもたらされるかについてのしっかりした理解が必要となります。先程の分析対象との関連では、それだけを考察するべきだと言っています。

 

この点では、核兵器の有効な使用とそこから得られる結果・効果について考察した

『核兵器と外交政策』(H・A・キッシンジャー著)

のような研究が政治家などに必要となってくるでしょう。衆議院議員の方々は余裕はないかもしれませんが、参議院議員の方々は地位がある程度保障されているのでじっくりと研究し、その結果を広く国民に公表していただきたいと思います。

 

(1)「戦闘力の使用」に関する理論

 

「戦闘力の使用」、つまり戦闘は、1回で終了することはあまりありません。

 

ナポレオンのロシア戦役(1812年)における戦闘は、ネマン川の突破(6月)、スモレンスクの戦い(8月)、ボロジノの戦い(9月)、モスクワ入城(9月)、モスクワ撤退(10月)、ベレジナ河の渡河退却(11月)、ナポレオンのパリ帰還(12月)など複数の戦闘が発生します。

 

また各軍団に分かれ、それぞれが部隊に分かれているためそれぞれの戦闘においても複雑なものとなっています。

 

これが130年ほど過ぎた1941年からの独ソ戦では、戦闘は100近く、それぞれが軍集団、正面軍などに分かれ非常に膨大なものになります。

 

クラウゼヴィッツは、この「戦闘の単位」について空間と時間という要素から一応のまとまった概念を作っています。

 

「戦闘の単位」(第5編2章参照)
(ア)空間・・・同時に発生する数々の戦闘では、「個人の命令が届く範囲」
(イ)時間・・・続々と発生する数々の戦闘では、「戦闘の危機が完全に終わるまで」

 

この「戦闘の単位」をどのように組み合わせ、どのように使用するのか考察することが、『戦争論』における核心的なテーマとなります。1800年頃、様々な人が戦略、戦術という言葉を根拠はないものの使い分けてきたことに対し、何か重要なことが含まれていると評価しながらも明確な根拠がないと批判し、クラウゼヴィッツは理論化を試みます。

 

「戦略と戦術」


(ア)戦略・・・各戦闘の価値を評価・利用すること
    ●戦闘を目的と関連させ組み合わせる活動
    ●目的を達成するため戦闘の使用の仕方を決める活動
    ●戦闘を使用すること

 

(イ)戦術・・・各戦闘を形作ること
    ●戦闘の組立てと実行
    ●各戦闘での戦闘力の使用方法

 

この戦略と戦術の概念は、後に見る「戦闘力の維持」というグレーゾーンで複雑な要素を明確に区分するときにも利用されています。

 

(2)(イ)「戦闘力の維持」についての理論

 ●1編1章8

「戦闘力の維持」は、近年非常に注目されている補給、管理、編成を対象にしているものです。これは、「戦闘力の使用」と同時に行なわれたり、「戦闘単位」の間に行なわれたりするため、「戦闘力の使用」と切っても切れない関係にあります。厳密には、「戦闘力の準備」にあたり考察対象からは外れますが、重要なものとして第5編・戦闘力の部分で綿密な考察を行なっています。

 

「戦闘力の維持」・・・「戦闘力の使用」との関連で


(ア)関連が深い
    ●行進
(第5編10、11、12章)
    ●野営(第5編9章)
    ●舎営(第5編13章)
  →これらは各戦闘の価値の評価の点では戦略的側面、各戦闘を形作る点では戦術的側面をもって評価・分類する

 

(イ)関連が浅い・・・「戦闘力の使用」に何らかの影響は与える
    ●糧食
(第5編14章「給養」)
    ●治療
    ●武器装備の補給
(第2編2章9)
  →結果のみを考慮すること

 

戦略、戦術という言葉は、現在ではさらに幅広い分類がなされていますが、クラウゼヴィッツが考察したように「戦闘力の創造・維持」という膨大な要素を取り入れるものとなっているようです。1人ではなく、幅広い人たちを巻き込んだ議論というものが必要なのかもしれませんね。

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