この章は大きく3つに分かれている。

(1)政治的目的を達成するための戦争の目標について

(2)それを達成するための戦争の手段は何か

(3)敵の戦闘力の撃滅の重要度の評価

 

今回は、(1)政治的目的を達成するための戦争の目標について。

 

8編5章.jpg(1)戦争の目標について

 戦争が政治的目的の正当な手段となる条件を考える。この時、適切な戦争の目標は何かを考えればいいだろう。そうなると、この戦争の目標は様々な政治的目的や状況によって異なるためひとまとめにして決められるものではないということに気づくはずだ。

 

 だが、無限にあるとしても考察できないというものでもない。戦争論では、まず概念上の戦争と現実の戦争の区分がはっきりと示されている(8編2章)。そして、現実の戦争も概念に近づくものとそれからは程遠いもの、この2つの方向性の違いを戦争前にしっかり把握する必要性が強調されている(8編3章A)。

 

ここでは8編5章の記事で利用した表(左図)を見ながら話を進めたい。

 

 

●「概念上の戦争」における戦争の目標

 それは、敵の抵抗力を完全に破壊することだった。「概念上の戦争」は様々な仮定をもとに考え出されたものであり、現実ではない。どちらも確実にこの目標に向かって行動し、戦争は止まることなく極限状態まで突き進む。それがいかに厳しいものであっても、戦争が無制限なものになり極限状態まで進行することが分かっている。つまり事態がどう進展するか確実に読める。そのため、概念上の戦争では政治が事態の方向性を決める必要などなくなってしまう(1編1章23節)。

 

 

●概念に非常に接近する「現実の戦争」における戦争の目標

  図では、物理的・精神的にとても優位な立場にあるか、積極的精神・冒険を実行できる性向を有している場合にあたる(8編5章)。1編では動機・緊張の強い場合。8編3章Aでは「概念上の戦争」に注目した場合の戦争の見通しや各戦闘の結果をどう見るかという部分にあたるだろう。それは、途中の成果には意味がなく、最終的な(主要な)決戦における失敗が今までの全ての成果をダメにしてしまうような戦争だった。

 

 「概念上の戦争」で想定されている両者は抽象的な存在だ。しかし、「現実の戦争」では条件がより具体的になってくる。敵の抵抗力をより具体的にし、その中でも非常に普遍的な要素を3つ導入してみよう。それは戦闘力・国土・敵の意志である。概念に接近する「現実の戦争」では、この3つの要素に対しどのように行動しなければならないだろうか。

 

①戦闘力(軍事力)・・・敵が闘争を続けられない状態にする

②国土・・・占領(新しい戦闘力の形勢を防ぐため)

③敵の意志・・・敵(同盟国を含む)に講和条約を締結させ屈服させる。ただし、「現実の戦争」の2つの方向性のうち、概念から遠ざかっていく戦争では講和の可能性がない場合も考えられる。「戦争における3つの主要な傾向(知性、感情、蓋然性・偶然性)」のうち政治の領域である「知性の挫折」という表現で講和条約で意味していた範囲を広げるべきかもしれない(1編1章28節)。そもそもその集団の知性が打ち出している政治的目的が有効なら、それはその集団の感情に支持されたものだ(1編1章11節)。また、概念から遠ざかっていくような戦争では、小さな政治的目的を捨てることも簡単だろう(1編1章11節)。この場合、政治的目的というよりも、「アイデアの実験・検証・試み」というような表現の方がしっくりくるものかもしれない。

 

【進行パターン】(様々なパターンがあり確定的に決められるものではない)

ⅰ. ①→②→③

   基本的な流れ

ⅱ. {①→②→①→②・・・}→③

   実際には、戦闘力の壊滅と敵国土の占領は交互に進むものだ。

ⅲ. ②→②→②→・・・(敵国土の大部分か全部の占領)→③?

   1812年のナポレオンによるロシア遠征のように敵がどんどん国土の奥深くへ撤退するような場合、大部分を占領しても敵の戦闘力を壊滅していない場合がある。ナポレオンには①の要素が欠けていたため、ロシアの「知性、政治」を屈服できなかった訳だ。

 

 

●抵抗力を完全に奪えない戦争

 上図でみたように、物理的・精神的に大きな優位になく、敵を完全に倒そうという積極的精神もない場合は戦争の目標が制約されたものになる。クラウゼヴィッツは抵抗力を完全に奪えない戦争を攻撃的な方向と防御的な方向の2つに分けて考えている。1編2章で列挙されている戦争の様々な目標はどちらかというと攻撃的な方向(積極的意図)に重点が置かれているようにみえるが防御的な方向(消極的意図)の考察部分にも同じように注目したほうが戦争論を把握しやすい。

 

  下図は先程の図に2つの視点を追加したものだ。政治的目的は概念上の戦争に近づくものであっても、遠ざかるものであっても戦争を貫いている。しかし、概念からの距離という戦争内部の事情は、政治の表面化の程度に影響を与える(1編1章11,23-26)。政治と戦争内部の事情との間には密接な関連がある。

 

1編2章 戦争の目標.jpg さて、抵抗力を完全に奪えない戦争(「制約された目標」の場合)における「戦争の目標」を考察する部分にきた。

 

 「概念上の戦争」では、相手の抵抗力をしっかりと把握できることが仮定されていた。そのため、明白な力の差があり精神的な力でも穴埋めが出来ないならば概念上は戦争など選択しないだろう。しかし現実には明白な差があり不利なのに戦争を選択し、さらに攻撃という闘争形式を選択する場合がある。つまり、戦争を選択するかどうか、攻撃・防御どちらを選択するかは戦力のバランスではなく、将来に対する評価により決定される(8編5章、上図参照)。

 

 ということは、将来に対する評価を左右させることによって敵を講和(あるいは政治的目的の挫折)に誘導することも可能なはずだ。この将来に対する評価は大きく2つに分けられる。勝算と犠牲の2つだ。

 

①勝算を悪化させる(主に戦争の内部事情を考慮した場合)

発生する事態には何通りものパターンがあるだろう。蓋然性の高いパターンは何か。どのパターンが将来発生すると敵に「勝てそうにない」と判断させることができるか。その具体的方法についての考察。8編5章をもとにした上の図ではどのパターンが発生する蓋然性が高いか判断できる場合だ。

 

 下の表のうち、政治的関係を変化させる方法に対する評価はとても高いものとなっている。

 

<勝算を悪化させる方法>
制約された目標 敵を完全に倒す戦争の場合
敵の戦闘力に対しどういう態度を取るか

将来が不安だと敵に思わせ、こちらが有利だと思わせる。つまり、敵の勝算を悪化させることが主であり、それに必要なだけ敵の戦闘力を叩く

すべてを破壊するまで進行する
敵の領土を部分的に占領することの意味合い

●(条件1)こちらは敵を完全に倒そうとしていない

●(条件2)敵も同じ、敵が決戦を恐れてさえいる(判断が可能で、それが確実な場合)

●無防備or守りの薄い領土の部分的な占領は有効。戦争の見通しを悪化させることができ、講和あるいは政治的目的を挫折させるチャンスを増大させることができる

敵を完全に倒そうとする戦争では、敵の戦闘力の破壊が最も効果を挙げる行動であり、敵の領土の占領は単なる結果。戦闘力を叩く前に占領するという事態は必要に迫られて行うに過ぎないものであり、いいこととは言えない。
戦闘力の使用とは異なる手段

●政治的な関係を動かし、敵の将来に対する予想を悪化させる策略

(例)

●敵の同盟国の分断、有効性の喪失

●こちらの新しい同盟国を増やす

●こちらが有利となるような政治力をつかう

 

 

 

②政治的目的と払うべき犠牲とのバランスの悪化(犠牲=数量+持続時間)

 8編5章をもとにした上の図では、どのパターンが発生する蓋然性が高いか判断できない場合にあたる。この場合、政治的目的をどう評価するかが重要だ。現実の戦争では将来を推測できない場合が多いだろう。講和に向かう動機としてはこちらのほうが一般的なものだ。1編2章で考察されている戦争の目標は、あくまで一般論としてという但し書きが付けられている。そしてその目標はどちらかというと攻撃的な方向(積極的意図)のものが多い。しかし、この部分で戦争論でも重要な防御の考察が行われる。ポイントは闘争の持続時間と防御の関係だ。

 

<犠牲>
制約された目標(政治的目的と犠牲のバランス) その他の目標(1.完全な打倒、2.勝算の悪化)
敵の戦闘力を叩くことの意味合い 敵の戦闘力の消耗

1.完全な打倒・・・すべてを破壊するまで進行する

2.勝算の悪化・・・将来が不安だと敵に思わせ、こちらが有利だと思わせる。つまり、敵の勝算を悪化させることが主であり、それに必要なだけ敵の戦闘力を叩く

敵の領土を部分的に占領することの意味合い 敵の戦闘力の消耗

1.完全な打倒・・・敵を完全に倒そうとする戦争では、敵の戦闘力の破壊が最も効果を挙げる行動であり、敵の領土の占領は単なる結果。戦闘力を叩く前に占領するという事態は必要に迫られて行うに過ぎないものであり、いいこととは言えない。

2.勝算の悪化・・・こちらは敵を完全に倒そうとしていない、また敵も同じで決戦を恐れてさえいる場合(判断が可能で、それが確実な場合)、無防備or守りの薄い領土の部分的な占領は有効。戦争の見通しを悪化させることができ、講和あるいは政治的目的を挫折させるチャンスを増大させることができる

侵略

(1編2章における「侵略」は現在の語法よりも非常に限定的な意味しかない)

●占領(長期的保持)、敵の戦闘力を叩くことは含まれていない

●税を取り、荒らす目的で行う。

敵の損害を増大させる事物に対する戦闘力の使用の意味合い 完全な打倒が目標でないか、無理な場合の話。政治が目標をはっきりと設定していることがはっきりと観察できるためより政治的と思えるような出来事。しかし、これは軍事的な事柄である。効果があがれば、目的達成に寄与するもの。(現在では空爆による施設の破壊のようなものか) 1.完全な打倒・・・完全な打倒に寄与する、決戦以外の戦闘力の使用と考えればいいだろう。
敵を疲れさせる

戦争において払うべき犠牲とは肉体的・物理的犠牲と戦争そのものの持続時間だった。「敵を疲れさせる」という目標はそのうち持続時間と非常に密接な関係がある。ここで再び「現実の戦争の2つの方向性を考えてみよう。

 

消極的←政治的目的→積極的

長←持続時間→短

小←支出→大

大←回復のチャンス→小

確実←結果→不確実

 

このうち、左に向かう場合、その限界は何だろうか。それを【純粋な抵抗】と呼ぶとすれば、それはどんなものか。

敵に目的を捨てさせることだけのためにあらゆる行動を向けること。

これは今まで見てきた戦争の目標と違うことが分かる。そのために最も有効なことは闘争の持続時間を長びかせることだ。攻撃は短時間で達成しなければならないものだったことから、これが攻撃と防御の根本的な違いとなる。

この持続時間が敵の犠牲を増大させ、政治的目的とのバランスに対する予想を悪化させる。

 

純粋な抵抗でも敵の政治的目的を挫折させるために、戦闘力を使用することが含まれている。

(→メモ

 

8編5章.jpg 

 この章では、国運が衰退していく小国がどのような戦争の目標を持つべきかが考察されている。注意点は、戦争の目標が制約されている場合の考察では敵国と自国の戦力バランスを考慮して攻撃・防御を決定するわけではないという部分だ。

 将来が見通せる場合には国運の悪化している小国、見通せない場合でも大国と利害が衝突している小国が想定されています。現在の日本をこの立場にあると想定して読んでみるのもいいはずだ。

 攻撃か防御かを決定するのは戦力のバランスではなく将来に対する評価であり、将来が見通せる場合はチャンスが巡ってくるか、見通せない場合は政治的目的の評価が判断の分かれ道となっている。

 国運が悪化していく国家の前途はまさに多難だ。フリードリッヒ大王(3編6章)は国の滅亡一歩手前まで追い込まれたわけだし、古代ではマケドニアに追い込まれていたアテネにおいてデモステネスが同盟結成までは行ったもののカイロネイアの戦いで敗れている。これは8編7章における話だが、「制約された目標」における攻撃、つまり「敵国土の部分的占領」には多くの困難があるというのがクラウゼヴィッツの評価だと思う(8編7章,7編4章,7編5章,7編-勝利の最高点について)。そういった意味でそれを乗り切ったフリードリッヒ大王に対するクラウゼヴィッツの評価は非常に高いといえるだろう。

 8編の戦争目標の考察の大枠を示している点でこの5章は有益だ。

 

「戦力のバランス」が攻撃・防御の選択基準にならない理由について
 この8編5章における「戦力のバランス」の扱い方はなかなか分かりづらい。読んでいて微妙な感覚になる人も多いのではないだろうか?実は1編2章においても同じ内容が登場する。ここでは上の表も使いながら自分なりの理解を書いておきたい。

(表から)
 攻撃か防御かの判断の流れを示した上の表において、まず現れるのは物理的・精神的優位がどちらにあるかの評価だ。しかし、自国の立場は優位ではないと判断した場合でも、積極的精神・冒険を実行する性向が強ければ敵を完全に倒そうとする戦争に発展する可能性がある。つまり小国においてもこの種の戦争を引き起こす可能性がある。

(概念上の戦争の前提から)
再び、概念上の戦争の前提からいくつか取り上げてみよう。

(2)戦闘力、能力など互いの様々な条件を同じにする (1編2章)
(3)両者とも戦争の完全性(=敵の抵抗力の完全な破壊)を追い求め、能力もある (1編1章2,6節,2編5章→7節で否定)
(4)相手の持つ抵抗力をしっかりと把握できる (1編1章5節→10,18節,1編2章は現実の戦争、8編5章)

条件を少し変えてみよう。(4)はそのまま固定し、(2)と(3)の条件を変更する。このとき、明白な力の差があり精神的な力でも穴埋めが出来ないならば概念上は戦争など選択しないだろう。しかし現実には明白な差があり不利なのに戦争を選択し、さらに攻撃という闘争形式を選択する場合がある(1編2章を参考に)。よって戦力のバランスが攻撃・防御の選択基準の核心ではない、ということになるだろう。

■概念上の戦争を理解するための前提(→メモ

 過去に発生した数々の戦争は個別具体的なものだが、それらには戦争の特性が含まれているはずだ。つまり、現実の戦争はこの特性が様々に変化し、偶然的な要素が入り込んだものだと考えられる。ところで、この本質をつかむには才能が必要である。また、戦争を実際に行なっている者はこの特性を感じ取ればよいだけであるが、特性を言葉で表す場合には明確な言葉を使うよう努力する必要がある。(2編5章)

 

 ここでは戦争の特性として考察される戦争の形を「概念上の戦争」、過去に発生しかつ将来発生するかもしれない戦争を「現実の戦争」と名付けよう。

 

 「概念上の戦争」の規定にあたっては注意点がある。今、現実の戦争は戦争の特性が様々に変化したものと言ったが、「概念上の戦争」の激しさに関し、過去に発生した数々の戦争の中間を取るわけにはいかないということだ。

 

 戦争の特性の最も核心的な要素、それは「戦争は危険なものだ」ということだ。そして将来行われるだろう戦争が過去に発生した戦争より穏やかなものになる保証はどこにもない。

 

 つまり概念上の戦争では、その激しさにおいて極限の姿を描き出さなければならないことになる。

 

(→メモ)「概念上の戦争」を考えているのに、そこに至る考察では現実によく見られることから導いているというような腑に落ちない感覚に囚われた時は、様々な現実の個別具体的な現象のなかに本質や意味を感じ取るような思考をするときを思い出すといいかもしれない。

 

前回取り上げた概念上の戦争の前提は、現実の戦争を考える際に次々と否定されていく。つまり、概念は概念であって現実ではない(1編1章6節、1編2章)。しかし、この概念、本質、「概念上の戦争」は実際に戦っている人からすれば、戦争がどんなものかわざわざ言葉で表すまでもなく感じ取るものだった。(2編5章)

 

『戦争論』では、この概念について注意点が2つある。

 

(1)戦争の特性は現実の戦争から読み取ったものだったが、これから起こる戦争に対し無理に適用してはいけない
 →無理に適用しようとする考え方に対しては「概念とは単なる言葉遊びであり、これが現実にあるという考えは馬鹿げている」というような形で強い批判が加えられる。

 

(2)これから戦うことになる戦争を甘く見て戦争の特性を十分に考慮しないまま、戦争の計画を立案したり実行すべきではない
 →戦争の特質が示している厳しさを無視した考え方に対しては、「戦争は危険なものであり、敵がこちらの全滅を計画していたらどうする、十分根拠があるならいいが・・・」という形で強い批判が加えられる。これは私たち日本人にとっては痛烈だ。反省の形が65年過ぎる間にかなり歪んでしまったものの、毎年これを反省しなければならないからだ。

 

この2点は読んでいると、内容が矛盾しているのではないかと感じる部分なのだが、よく読むとクラウゼヴィッツが意図していることが分かってくるはずだ。

 

この2点のバランスを忘れずに読んでいけば、戦争の特性として読み取ったものをどう扱えばいいのか理解を深めていけるのではないだろうか?特に8編2章、8編3章Bは、この2つの視点を中心に論じられている部分だ。また、「この概念を背景としていつも念頭に浮かべておくこと」という部分に注目する必要があるだろう(8編2章、8編6章B)。

 

■「概念上の戦争」の前提(→メモ

 概念上の戦争には、いくつかの前提があるように思われる。ここではその前提を列挙しておく。これらの条件は両軍ともあてはまることとする。現実の戦争を考える場合、これらの条件が否定されていくことになる。

(1)抽象的なもの同士が戦う (1編1章7節→同節,2編5章で否定)
(2)戦闘力、能力など互いの様々な条件を同じにする (1編2章)
(3)両者とも戦争の完全性(結果について確実なもの)を追い求め、能力もある (1編1章2,6節,2編5章→7節で否定)
(4)相手の持つ抵抗力をしっかりと把握できる (1編1章5節→10,18節は現実の戦争)
(5)戦争前の状態や様々な関係を無視し、戦争を突然起こることと考える (1編1章6節→7節で否定)
(6)決戦は1回のみ、それにすべての力を使い切る (1編1章6節,3編12章→1編1章8節、3編12章で否定)
(7)今戦っている戦争が終結した後、どうなるかを考えない (1編1章6節→9節、8編4章で否定,2編5章のモスクワ侵攻の考察を参照)
(8)闘争形式を攻撃のみとする (1編1章12,13,14節→16,17節で防御の考察が始まる)
(9)闘争自体を考え、空間・時間・人間を考慮しない(3編12章)

 

■概念上の戦争-戦争の定義・完全性・絶対性(→メモ

 現実の戦争には様々な形があり、その政治的目的、それを達成するための戦争の目標も様々だ。しかし、戦争の特性(概念上の戦争)をある前提から考えたときは以下のような形になるだろう。絶対性や完全性という言葉は以下のような戦争の方向性を表している。

 

●戦争とは、敵に自分たちの意志を押し付けるために暴力を使うこと。
●政治的目的・・・敵に自分たちの意志を押し付けること。
●戦争の目標・・・目的達成のため敵の抵抗力を完全に破壊すること。
●目標を達成するための手段・・・物理的な力(精神的なものではなく、武器・兵器)を使うこと。
(1編1章2節)

 

■概念上の戦争-限度のない戦争の激しさ(→メモ

以上のような前提・定義・方向性から、「概念上の戦争」の性質を考えてみよう。敵味方、それぞれの行動は必ず相手に影響を与え連動している。この相互に影響を与え合うことが、戦争の手段、目標とどのように関わっているかが問題だ。

 

●【1.戦争の手段から考える】(1編1章3節)
 戦争の手段は物理的な力であり、これを使い暴力を行使することだった。概念上の戦争ではそれ以前の国家間の関係や状態を無視し、すでに戦争が始まっているという前提がある。そのため暴力の行使以外の手段は失われている。戦闘は1度きりであり、お互い抵抗力を完全に奪う能力があるため負ければ完全に無防備状態となる。そのため片方が暴力を行使すればもう片方も暴力で対抗するしかないわけだ。この連鎖は際限もなく続く。戦争の規模・激しさに限度がなくどんどんエスカレートしていくことになる。

 

●【2.戦争の目標から考える】(1編1章4節)
 概念上の戦争の目標は、敵の抵抗力を完全に破壊することだった。そうすれば自分たちの意志を相手に押し付けようとするとき相手は抵抗できないため言うことを聞くしかいない。戦争はすでに始まっている。自分たちが敵の抵抗力を完全に破壊しなければ、こちらが負けてしまう。決戦のチャンスは1度しかないからだ。敵も同じように考えている。戦争の規模・激しさに限度がなくどんどんエスカレートしていくことになる。

 

●【3.敵の抵抗力の測定から考える】(1編1章5節)
 今まで戦争の手段・目標と敵・見方の行動の連動の関係を見てきた。順番からすると「敵に自分たちの意志を押し付ける」という政治的な目的について考えなければならないように見える。しかし、「概念上の戦争」では、敵の抵抗力を完全に破壊してしまえば敵に自分たちの意志を押し付けることができる。つまり、政治的な目的は戦争が始まった時点で考えなくてもいいことになる。


 それよりも【2】で見た抵抗力についてもう少し詳しく見たほうが「概念上の戦争」を考える上で有効だろう。相手の持つ抵抗力をしっかりと把握できることが前提とされていた。そのため、お互いに敵より優位に立とうと力を発揮しようとする。戦争の規模・激しさに限度がなくどんどんエスカレートしていくことになる。

(→メモ

戦争における情報を論じる際、書物では簡単に原則を挙げ説明することができるようです。しかし、クラウゼヴィッツは、計画から実行に移る間に入手する情報によって戦争が非常に厄介なものになると言います。

 


この章で一番重要なのは、正しい判断をするには精神の均衡を保たなければならないという部分です。それには自分の確信に自信を持ち、状況の中で希望を見いだせる部分を見るようにすることだと書かれています。

 


1編3章では、予想や行動の根拠となる情報の4分の3は霧の中に包まれていて分からないため、理性によって状況の正しい認識を持とうとすること(1編3章-戦争の不確実な性質に対処するのに必要な精神)が必要と書かれています。この努力はこの章の前提となっているのは言うまでもありません。

 

ここでの情報とは敵国、敵軍のあらゆる事柄をいい、自国・自軍の想定と行動の基礎となるもの

 

しかし、情報は変化が早く確実なものではないため、予想や行動の基礎があっという間に崩れてしまうとクラウゼヴィッツは言います。

 


 

なぜなら、情報は、相互に矛盾したものが多く、さらにより多くが間違っており、大部分が不確実なものだ。そこで物事と人間に関する知識、常識から判断の基準を持たなければならない。そして結局は見込みに基づいて判断(1編1章20,21,22)しなければならない

●不確実性・・・第1編第1章10,18,19、第1編第3章
●どんな戦争になるかの見込みについて・・・第8編第3章

 


(相互矛盾)
●混乱の中、上記のような情報が入り乱れたとしても、これを批判的に分析することができるなら、まだマシな状態だ。
●最悪なのは、誤った情報の多くが共鳴しあい、一気に決断に向かってしまうことだ。このような場合、その決断を支持した人は後で愚か者として扱われる。

 


(誤報と人間に関する知識)
大抵の情報は間違っている、人間の恐怖心が誤りを助長する。人間は悪いことを信じやすく、実際より大げさに捉えてしまう。間違った情報や大げさな情報は、原因がはっきりしないまま何度も押し寄せる。指揮官は確信をもって、事柄の良い面を見るようにし、精神の均衡を保ち正しい判断ができるようにしなければならない。

 


感覚は複雑に組み立てられた思考より強烈な印象を残す。指揮官は事態が予想と違うのを見て躊躇し、計画に疑問を持つものだ。特に他人の思惑に影響されやすい人の疑惑は強烈なものになる。指揮官は自分の確信を捨てず、錯覚を斥けなければならない。

 


計画と実行との間には大きな断絶があり、大きな困難がある。

(→メモ

肉体的な苦痛は、戦争における摩擦の最も大きい要素の一つ。

 

寒さ、暑さ、渇き、飢え、疲労などの肉体的な苦痛は、戦争に大きな影響を与え、判断を大きく歪ませてしまう。そのような状況で下される判断は客観的には正しくないとしても、対象との関係を示しているという点で主観的には正しいと言える。しかし、その判断は、甘く厳密さを欠き、正しい認識を受け入れられない精神的な狭さを抱えている。

 

肉体的な苦痛は、「戦闘力の使用」に悪影響を与える。

 

その主な点は以下の2つ。
●戦争で必要とされる理性・感情をだめにしてしまう。
●戦闘力の最大限の使用を制限してしまう。

 

司令官には、苦労を強制しその状態を長い間維持するという精神力が必要となってくる。

 

またそれを可能にする技術が必要となる。

  • 1編3章、「体力・精神力・健全な常識・状況の全体を把握する理性」が挙げられています。
  • 1編8章、演習のあり方

 

(注意点)肉体的な苦痛を敗北時に語り、敗北の印象を薄めるようなことはすべきでない。これを躊躇する感情は、より高い次元の判断力といえる。

(→メモ

「戦争とは危険なものだ」、「蝶が空気を飛ぶように、魚が水中を泳ぐように、戦争では危険のなかで行動することになる」というように、クラウゼヴィッツは『戦争論』のあちこちで「危険」を強調しています。現在生きている私たちは、確かに2度の世界大戦、アメリカとの戦争などを話や映像を通じて知っているため、この危険を知っているようにも思えますが・・・実際は、おそらく何もわかっちゃいないはず。

 

戦争論における精神的な事柄を扱う部分は、読書家が語るには荷が重すぎるものです。正直に言うと、非常に後ろめたい気持ちになるものです。平和を声高に叫ぶ人も、実際には「戦争における危険」を知らないため、その後ろめたさを内に秘めているものと考えられます。何事も声高に叫ぶ場合は後ろめたさがあるものなのかもしれません。しかし、仲間同士足の引っぱりあいをしていても仕方がありません。

 

「もう二度と戦争はしない」という政治的な表現はともかく、個々人の実際上の表現としては「もう二度とあんな思いをしたくない」という素朴なものです。しかし、この実感を伴った世代はおそらく「抑止力」を本能的に体感していたのかもしれません。世代が変わるにつれ、「戦争における危険」を実感できなくなり、「抑止力」が単なる安全保障学を学ぶ人の定義の暗記のようなものになってしまったのでしょう。

 

これは推測ですが、専門家も実感などしていなかった・・・と考えています。私たち日本人のほとんどが今年に入って実感しつつあるというのが本当のところなのかもしれません。

 

さて、この章でクラウゼヴィッツは、戦争における危険を読者に理解してもらうため【戦場の近くに来た時→軍司令官・幕僚→師団長→旅団長→交戦部隊】とそれぞれの階層における危険の印象を描きだしています。もう、5年ほど前になるでしょうか、塾で中学生と一緒に、『西部戦線異状なし』を観たときとほぼ同じような叙述をここで読むことができます。

 

そこでは、砲弾の音への集中、動揺、平静・落ち着きの喪失、呆然など様々な心の状態が描き出されます。

 

「戦争を知らない人は、実戦での危険を実感できない。戦争を考えると全て単純に見え簡単に勝利できると想像しがちだが、実際は違う。心を高揚・満足させる瞬間はほとんどなく、戦争の経過は徐々に進行するため勝利で歓喜に沸く瞬間もない。最初の危険を通り過ぎると、ほとんどの人が決断力を失うものだ。確かに30分もすればその環境に麻痺し無関心になるが、平静さや心の弾力性を取り戻すことは通常できない。」

 

戦争における危険は、軍事行動における摩擦の1つだと語ります。

 

そして「責任が増える(階級が上がる)につれ、精神的な能力の高い人(天才)が必要となる。熱狂的あるいは禁欲的、または生来的な勇気、強い名誉心、危険に対処する長年の経験などを身につけている必要がある。」と、摩擦に対処する精神的な要素を挙げています。

 

詳細は、第1編3章「軍事的天才」、第2編3章18,19などで軍事行動において必要とされる精神の様々な表現が考察されます。

第2編第1章最近は、第5編「戦闘力」に重点を置いて読んできました。この第5編は「戦闘力の使用」に焦点を絞るというクラウゼヴィッツの方針のいわばグレーゾーンともいえる部分です。つまり、「戦闘力の創造・維持」という要素に片足を入れているため、本気でこれを極めようとすると経済、科学などあらゆることに手を広げていかなくてはならなくなります。

 

クラウゼヴィッツもそれについて警鐘をならしています。「戦闘力の創造・維持」のうち、「維持」(補給・管理・編成などが含まれる)は、軍事行動と同時あるいは交互に活動が行なわれることから「戦闘力の使用」との関連を考慮しつつも慎重に取り扱おうとしています。

 

この分野では、

●『補給線』(マーチン・ファン・クレフェルト著、中公文庫BIBLO)

という著作が、クラウゼヴィッツに大いに触発された考察として注目されています。戦略は「現実」から離れていくらでも大きな羽を羽ばたかせることができる。しかし、その戦略は、「現実」に打ち落とされてしまうのだという考察です。

 

さて、第2編第1章のタイトルは「戦争術の区分・兵学の区分」ですが、副題をつけるとしたら「-戦争の何を分析対象にし、何を除外すべきか-」ということになるでしょう。『戦争論』は、勝つ方法について論じているというより、「戦争」を記述し、「戦争に関連する活動」を明確な要素に分け、それぞれの要素の関連を分析しようとする本です。しかし、戦争を対象として前に立てることになるので、常にその理論が現実と一致するか不安になりますが、第2編2章46において「知識は能力とならなければならない」とまとめられていています。

 

「戦争に関連する活動」を2つに分けて考えることが、この章のポイントとなっています。

 

「戦争に関連する活動」
(1)戦闘力の使用(狭義の戦争術) →考察対象の核心
(2)戦闘力の準備(広義の戦争術)
    (ア)戦闘力の創造・訓練    →考察から除外(ただし1編1章8の国土・人口参照)
    (イ)戦闘力の維持         →戦闘力の使用とのグレーゾーンであり注意を要する

 

クラウゼヴィッツは、戦争を理解するうえで最も重要な要素は「闘争」だと考え、闘争の1つの形態としての「戦闘」を戦争における本質的な要素としました。

 

「戦闘」では、(2)で準備された戦闘力を既に与えられたものとして捉え、考察から除外する方法が採用されています。ただ、与えられた戦闘力をどのようにしたら有効に使用できるか、そして戦闘力の使用によってどのような結果がもたらされるかについてのしっかりした理解が必要となります。先程の分析対象との関連では、それだけを考察するべきだと言っています。

 

この点では、核兵器の有効な使用とそこから得られる結果・効果について考察した

『核兵器と外交政策』(H・A・キッシンジャー著)

のような研究が政治家などに必要となってくるでしょう。衆議院議員の方々は余裕はないかもしれませんが、参議院議員の方々は地位がある程度保障されているのでじっくりと研究し、その結果を広く国民に公表していただきたいと思います。

 

(1)「戦闘力の使用」に関する理論

 

「戦闘力の使用」、つまり戦闘は、1回で終了することはあまりありません。

 

ナポレオンのロシア戦役(1812年)における戦闘は、ネマン川の突破(6月)、スモレンスクの戦い(8月)、ボロジノの戦い(9月)、モスクワ入城(9月)、モスクワ撤退(10月)、ベレジナ河の渡河退却(11月)、ナポレオンのパリ帰還(12月)など複数の戦闘が発生します。

 

また各軍団に分かれ、それぞれが部隊に分かれているためそれぞれの戦闘においても複雑なものとなっています。

 

これが130年ほど過ぎた1941年からの独ソ戦では、戦闘は100近く、それぞれが軍集団、正面軍などに分かれ非常に膨大なものになります。

 

クラウゼヴィッツは、この「戦闘の単位」について空間と時間という要素から一応のまとまった概念を作っています。

 

「戦闘の単位」(第5編2章参照)
(ア)空間・・・同時に発生する数々の戦闘では、「個人の命令が届く範囲」
(イ)時間・・・続々と発生する数々の戦闘では、「戦闘の危機が完全に終わるまで」

 

この「戦闘の単位」をどのように組み合わせ、どのように使用するのか考察することが、『戦争論』における核心的なテーマとなります。1800年頃、様々な人が戦略、戦術という言葉を根拠はないものの使い分けてきたことに対し、何か重要なことが含まれていると評価しながらも明確な根拠がないと批判し、クラウゼヴィッツは理論化を試みます。

 

「戦略と戦術」


(ア)戦略・・・各戦闘の価値を評価・利用すること
    ●戦闘を目的と関連させ組み合わせる活動
    ●目的を達成するため戦闘の使用の仕方を決める活動
    ●戦闘を使用すること

 

(イ)戦術・・・各戦闘を形作ること
    ●戦闘の組立てと実行
    ●各戦闘での戦闘力の使用方法

 

この戦略と戦術の概念は、後に見る「戦闘力の維持」というグレーゾーンで複雑な要素を明確に区分するときにも利用されています。

 

(2)(イ)「戦闘力の維持」についての理論

 ●1編1章8

「戦闘力の維持」は、近年非常に注目されている補給、管理、編成を対象にしているものです。これは、「戦闘力の使用」と同時に行なわれたり、「戦闘単位」の間に行なわれたりするため、「戦闘力の使用」と切っても切れない関係にあります。厳密には、「戦闘力の準備」にあたり考察対象からは外れますが、重要なものとして第5編・戦闘力の部分で綿密な考察を行なっています。

 

「戦闘力の維持」・・・「戦闘力の使用」との関連で


(ア)関連が深い
    ●行進
(第5編10、11、12章)
    ●野営(第5編9章)
    ●舎営(第5編13章)
  →これらは各戦闘の価値の評価の点では戦略的側面、各戦闘を形作る点では戦術的側面をもって評価・分類する

 

(イ)関連が浅い・・・「戦闘力の使用」に何らかの影響は与える
    ●糧食
(第5編14章「給養」)
    ●治療
    ●武器装備の補給
(第2編2章9)
  →結果のみを考慮すること

 

戦略、戦術という言葉は、現在ではさらに幅広い分類がなされていますが、クラウゼヴィッツが考察したように「戦闘力の創造・維持」という膨大な要素を取り入れるものとなっているようです。1人ではなく、幅広い人たちを巻き込んだ議論というものが必要なのかもしれませんね。

第3部第8章 数の優位 (参照)

決定的な戦闘では、相対的に優位になるようにすることが戦略の第1原則だった。

ここで考察するべき要素は以下のようなものである。

  • 各国軍隊の兵器、装備、訓練
  • 軍隊の勇気・戦意

①各国軍隊の兵器、装備、訓練

  • 現在(1800年代前半)は、どの国(ヨーロッパ)もあまり違いはない。他の要素が同じ水準だから、兵員数の比率が重要だ。(国民・軍隊との文化的水準と一致せず運次第である最高司令官の能力は例外←しかし『戦争論』では非常に重要な要素となっている。)
  • その都度・精確に兵員数を推測するような会戦では兵員数に余裕がある方が勝利する。現在では、2倍の敵に勝利するような会戦は見当たらない。


②軍隊の勇気・戦意(劣勢の程度による場合分けがなされている)

  • しかし軍全体の兵員数は最高司令官にとってはすでに与えられたものだから、劣勢でも戦争が不可能だということにはならない。
  • 著しい劣勢の場合、特殊な戦法を採用すべきだ。その場合、目標を限定し戦闘期間を短くすべきだ。目標を限定し、効果的な戦闘・慎重・自制の効果を最大限活かすべきだ。
  • それも不可能で非常に追い込まれた状態になると、絶望的な一戦に兵員の緊張は集中し、精神の優越に望みを託すことになる。極度に大胆な行動が最高の賢明さと受け取られ、思い切った詭計も採用されることになる。
  • 最終的には、名誉ある敗北をし、来るべき復活への権利を国民に残すまでのことだ。(ここまで来ると政治の領域では様々な工夫があると思われます。)
これまでの4章で

  • 危険(第1部第4章)
  • 肉体的な困苦(第1部第5章)
  • 情報(第1部第6章)
  • 摩擦(第1部第7章)
についてみてきた。これらはすべての軍事的な活動の障害となるため、(第1部第7章でみた摩擦より広い意味で)「一般的な摩擦(障害)」とみなすことができる。

これらの障害が戦争の雰囲気を作り、この雰囲気が戦争における活動を妨害する。

この妨害の中で軍事的な活動を遂行していくには関係者全員が戦争に習熟し、慣れる必要がある。そうすることで、どんな時も冷静に判断できる気質が備わっていく。

では、どうすればいいのだろうか?鍵となるのは、戦闘経験である。平時の演習では実戦と同じ経験を得ることは到底できないが、以下のような方針で演習を行えば、単なる技術を磨く演習と比べればはるかに有益なものとなりうる。

①演習(身体よりもむしろ精神を慣らす目的で。)
  • 障害の1つでも再現できるような形で。
  • 判断、手落ちなく行き届いた準備をしているか、決断力等を試せるような形で。
  • 非常に重い負担がかかってきた時、人は積極性を失うが、さらにこの負担を上層部のせいにし余計落胆してしまうため、実戦では常にそういうものだ理解する経験を積むため。

②実戦経験者から学ぶ
  • 他国から実戦において大きな功績をもつ将校を顧問として呼ぶ。
  • (代案として)自国の将校のいくらかを戦地に派遣して戦争の実態を学ばせる。
彼らは軍全体から見れば非常に小さなグループである。彼らを高い地位に就かせることができなくても、経験や洞察、円熟した性格は部下や同僚に大きな影響を与え、国は彼らをガイドとみなし、不測の事態の際には意見を求められるような者となるだろう。

戦略は、戦闘が行われる場所、時間、戦力を決める。戦闘は戦術に沿って行われる。戦略は、勝敗にかかわらず戦闘の結果を戦争目的のために利用する。

 

戦闘において戦力の量というものをどのようにとらえるべきか考える。

 

①戦力

戦略の第1原則 : 決定的場所・時間に出来るだけ多くの軍を投入すること。

 

その前提(2つある) :

A.軍隊全体の規模

  • この著しい優越によって多くのことを達成できるという確信が必要で、この確信が戦争計画に影響を及ぼす。というのが正しい道筋。(これは政治の領域で働く人々が持たなければならない意識だと思われます。)
  • しかし、軍隊全体の規模は政治の領域で決定されるため、ほとんどの場合、最高司令官は軍隊の規模を変えることのできない与えられたものとして受け取る。そのため、軍全体の規模ではなく、決定的な場面で相対的な優位を得られるように努力しなければならない。

 

B.戦闘力を利用する能力

たとえば・・・

  • 場所に関する正確な判断
  • 決定的な場面を迎える前に戦闘力を失ってしまわないよう適切に行動したり、方針を定めること
  • 決定的な場面を迎える前に様々な細かい事態に目を奪われ、その対処のために戦闘力をその都度割いてしまいがちであるが、このようなことに惑わされず戦闘力を統一しておくという堅い決断。

これらの能力が高くなければならない。

 

 A、Bによって重要な場面で戦闘力をどれだけ集中できるかが決まる。

 

②戦闘が行われる場所・時間について

 ①から、時間・空間についての的確な判断こそ勝敗を決定する要因だと考えるかも知れない。確かに時間・空間はすべての基礎だが(確かに重要だけれども・・・)、勝敗を決めるすべてではない。過大視するべきではない。

 

むしろ、勝敗の決定は・・・

  • 敵について正確に判断できるか
  • 一定期間、少ない戦闘力で敵と向かい合うことができるか(前衛や陽動のことだろうか?)
  • 味方に通常より厳しい行程を課し、それを実現できるか
  • 敵を急襲する大胆さを持ち合わせているか
  • 危険を目前にしても怯えず(通常私たちは怯えて何もできない・・・)、逆に以前よりも強力な行動がとれるかどうか

というようなことに左右されている。これが時間・空間を正確に判断できる能力だけが勝敗を決めているわけではないという根拠である。

 

③まとめ

しかし上記の議論は、戦闘力が劣っているからと言って戦闘してはいけないということを示したものではない。戦闘を実施するかしないかは、全体と様々な要素との関係を考慮して判断することで、別のことである。

 

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「第5章:戦闘力 - 第3章:敵味方の兵力の比率」を参照

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